あのクラシック音楽家のニックネーム!?(1)
こんにちは♪
クラシック音楽作曲家はたくさんいますが、その中でも本名とはまた別の通称、いわゆるニックネームが付いている作曲家たちもいます。
中学校や高校の音楽の授業などで「音楽の父」や「ピアノの詩人」といった言葉を聞いたことありませんか?
そのほとんどは亡くなってから付けられたものが多く、日本だけで呼ばれている通称もあります。
今回は特に有名な作曲家たちについて、なぜそのように呼ばれるようになったのか、2回に分けてご紹介致します♪
ヨハン・セバスティアン・バッハ「音楽の父」
バッハはドイツの偉大な音楽家ということで有名ですが、実は「音楽の父」と言われるには彼が亡くなってからしばらく経ってからのことでした。
当時バッハは先祖代々続く音楽家の家系を忠実に引き継ぎ、一族の後継者・子孫・教会に集う人々のための教材や音楽を作っていたため、いわゆる「普通の音楽家」として見られていたのです。
彼が亡くなった後はすぐに忘れ去られてしまい、時代に埋もれてしまっているほどでした。
ではそんなバッハがなぜ現代「音楽の父」として名を馳せることになったのか…それはドイツの音楽家・メンデルスゾーンがバッハの作品「マタイ受難曲」を復活上演したことが大きなきっかけとなったようです。そこからバッハの音楽が多方面で登場することになり、作品の魅力や彼の才能の凄さというものが評価されるようになりました。
「対位法」「フーガ」といった技法を駆使した数々の作品は、後の音楽の世界にとって多大なる影響を与え、あらゆる作曲家にとって大切な源泉となっていったのです。
私達が普段触れている身近な音楽(J-POP、洋楽、演歌など)でさえも元を辿っていくと彼の和声理論に辿り着くと思うと、よりバッハの偉大さが伝わってきますね!
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル「音楽の母」
ヘンデルはドイツ出身ですが、主にイギリスの地で活躍した音楽家です。
同じバロック時代に「音楽の父」と呼ばれていたバッハがいたことから、ヘンデルは「音楽の母」と呼ばれるようになりました。
なぜヘンデルに「母」という名が付いたのか?
それは先程ご紹介したバッハの音楽が主に理論的な教会音楽であったり教材を作っていたのに対し、ヘンデルはオペラやオラトリオなど劇作品を中心に、あらゆる分野において沢山の作品を残したことから言われています。
彼の代表的な作品でもある《オラトリオ「メサイア」より”ハレルヤ”》は、みなさん1度は聴いたことがあると思います♪
同時代にバッハとヘンデルがいたこと、しかし音楽活動は対照的であったことから”父”と”母”という呼び名が付いたとは、面白いですよね!
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン「交響曲の父」
ハイドンは古典派時代に活躍したオーストラリアの音楽家です。
交響曲の生みの親といったわけではないのですが、交響曲・ソナタなど器楽の分野で大きく貢献し、後世に多大なる影響を与えました。
彼が作曲する上で大切にしていたこと、特徴とも言えることは「調和の取れた音楽」です。
長い間貴族のエステルハージ侯爵家に仕えていたことから、形式化された生活の中で楽しむ音楽を作曲してきました。
単純でもなく、複雑でもなく、しかし調和の取れた聴き心地の良い音楽を作曲することは大変難しいことであり、まさに彼の素晴らしき職人技によるものだったのです。
104曲にも及ぶ交響曲作品を残し、弦楽四重奏曲においても68曲と沢山の作品を残しています。
同じ古典派音楽の代表的な作曲家として肩を並べるベートーヴェンやモーツァルトも、音楽活動をするにあたって始めはハイドンの影響を大きく受けています。
そういった意味でハイドンが「交響曲の父」と呼ばれるようになったのも、みなさん頷けるのではないでしょうか?
いかがでしたか?
第2回も引き続き、みなさんが1度は聞いたことであろう有名な作曲家たちの通称について、お話したいと思います♪