3歳で音の海へ!?天才モーツァルト 35年の生涯
こんにちは。ミュージックアカデミー ラファーレの堀川です。
今日は、ピアノを習っている人なら誰もが一度は耳にする、歴史上のスーパースター、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのお話です。
音楽室に飾ってある肖像画、皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか!
「教科書に載っている昔の偉い人」というイメージがあるかもしれませんが、実は彼はとってもお茶目で、誰よりも音楽を「遊び」として楽しんでいた人でした。
そんな彼の驚きの生涯をのぞいてみましょう!
3歳でピアノに出会う
モーツァルトが音楽に夢中になったのは、なんと3歳のとき。
お姉ちゃんがピアノを弾いているのを横で見守っていて、「僕もやってみたい!」と自分から鍵盤に触り始めたのがきっかけです。
すごいのはここから!教わってもいないのに、綺麗な音の組み合わせを見つけては、ニコニコしながら弾いていたそうです。
たった数分でメロディを覚えて弾いてしまったという、まさに「魔法」のような始まりでした。
5歳になる頃には自分で短い曲を作り始め、周りの大人たちをあっと驚かせていました。
世界中を旅した「小さな冒険家」
6歳のときから、モーツァルトはお父さんと一緒にヨーロッパ中を旅する「演奏ツアー」に出かけました。
当時は飛行機も新幹線もない時代ですから、馬車に揺られての長い旅です。
彼は訪れた先々の巨匠たちからあらゆるスタイルを吸収しました。イタリアの歌心、ドイツの緻密な構成、フランスの華やかさ。
ウィーンのお城では、女帝マリア・テレジアの前でピアノを披露しました。
お客さんをびっくりさせるのが大好きだった彼は、目隠しをしてピアノを弾いたり、鍵盤を布で隠して弾いたりといった、まるで手品のようなパフォーマンスも見せていたそうですよ。
「耳の魔法」と「ワクワクする心」
彼には、一度聴いた音楽を完璧に覚えてしまうという不思議な力がありました。
父レオポルトは、その類まれな才能を確信し、英才教育を施します。
14歳のときには、教会で一度だけ聴いたとても長い合唱曲を、お家に帰ってからスラスラと楽譜に書き写してしまったという記録が残っています。
天才と呼ばれながらも、「自分以外の音楽」に対しても常に謙虚で、学び続ける姿勢を崩しませんでした。
しかし、彼が本当にすごかったのは、どんなに忙しくても「楽しむこと」を忘れなかったことです。
お友達とおしゃべりしたり、ビリヤードで遊んだりしながら、頭の中に流れる楽しいメロディをそのまま楽譜にしていたと言われています。
音楽を「イメージ」で彩る達人
モーツァルトの楽譜には、たくさんの表情がつまっています。
例えば「スタッカート」をまるでボールが跳ねるように弾いたり、「レガート」を氷の上を滑っているように繋げたり……。
彼は音符をただの記号ではなく、生き生きとした物語として捉えていました。私たちがよく知る「キラキラ星」のメロディは、もともとフランスで流行していた恋の歌でした。モーツァルトはこのメロディを元に、ピアノのための『きらきら星変奏曲』を書き上げ、世界中に広めるきっかけを作りました。有名なフレーズをアレンジしたときも、夜空に光る星がダンスをしているような、楽しいイメージを膨らませていたのかもしれませんね。
モーツァルト 35年の最期

モーツァルトはその後、わずか35歳という若さでなくなりました。今の感覚でいうと、働き盛りのあまりにも早い旅立ちですよね。
35年という月日は、数字だけを見れば短く感じるかもしれません。
しかし、彼が書き残した600曲以上の作品には、一貫して「人間への深い愛情」と「音を楽しむ純粋な心」が宿っています。
亡くなる直前まで、彼は病床で新しい曲(レクイエム)の構想を練り、最後までペンを離しませんでした。
彼にとっての成功とは、名声を得ること以上に、「頭の中にある天上の響きを、この世に形として留めること」だったのではないのでしょうか。






