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JASRACが失う「未来」の代償

いつもミュージックアカデミー ラファーレの活動にご協力いただき誠にありがとうございます。
先日の記事は思いのほか反響があったようで、皆さん興味を持っていただいている話題だな、と改めて思った次第です。


さて、2回目となるJASRACと音楽教室の判決考察について、本日のテーマは「公衆」です。
JASRACは、このままだと未来の「演奏者」を失う可能性があるという怖いお話です。

音楽教室に通う生徒さんの「目的」

前回の記事で高校野球におけるブラスバンド演奏の主体は誰なのかを考察しましたが、やっぱりどう考えても演奏主体が「主催者」というのは飛躍した論理だと思うんですよね。
今回の判決の違和感は、そういった「主体」の取り違えから起きていると感じます。

ここでいう「主体」とは「その中心部分をなすもの」「主要な部分」と考えられますが、主要な部分=主たる目的が重要ではないかと思います。
そもそも教育活動において「主体」を「誰かひとり」と捉えることそのものに無理があるのですが、強いて言うなら「生徒さん」であると私は考えます。
なお、この「主体」については「楽曲の管理」の観点で別記事でまとめる予定です。

話しは戻りますが、主体が生徒さんである理由はその目的にあります。
生徒さんはある楽曲に対し「演奏できるようになるために」レッスンを受講するからです。
主要な部分であり主たる目的は「演奏技術の習得」ということになります。

音楽教室には「演奏技術を習得」したい人だけが来る

それを踏まえて今回の判決文を読みすすめると、ちょっと気になる表現があります。

判決文 P59
原告らが経営する音楽教室は、受講申込書に所定事項を記入するなどして受講の申込みをし、原告らとの間で受講契約を締結すれば誰でもそのレッスンを受講することができるので…(以下略)

音楽教育を守る会さんは、この点についてどう思われているのでしょうか。
ここには重大な誤認がありまして、音楽教室って「演奏技術の習得」のための生徒さんでなければ受講できない=受講契約を締結することはない ですよね。
これ、コンサートの視聴契約(って言うんですか?)とは大きく異なる部分です。

音楽教室が「演奏技術の習得」を望まない、単に講師の演奏を聴きたい方に対して入校を許可することはありえません。
その楽曲演奏を聴くことが主たる目的であれば、生演奏が希望であればその方は迷わずコンサートにスピーカーからの演奏で事足りるのであればその楽曲を購入する行動を取るでしょう。
もちろん私達も「講師の演奏が聴きたいから入校したい」という方へは当校講師を「プロの演奏家」として、その活動をご紹介することになります。

つまりコンサートとは違って「受講料を支払えば誰でも入校できる」は大きな誤りです。
たとえそれで収益が上がるからと言って「演奏を聴く目的」で入会を希望されても受講契約を締結するどころか、体験レッスンすら受講することができないんです。
考えてみてください。飲食店で商品を注文せずに席を占拠するお客様がいらっしゃったら、当然のことながらご退店を促すのと全く同じですよね。

ちなみにこの部分は判決でも言及しています。

判決文 P62
(前文略)…音楽教室におけるレッスンは必ずしも発表会等の参加を前提とするものではなく、その目的は演奏技術等を学ぶことにあるので…(以下略)

裁判官さんも生徒さんが音楽教室に通う目的を明確に示してくれました…この部分、なんの異論もありません。
それならば、講師の演奏はその目的に対して「必要不可欠」なものであることも、少なからず理解されているのではないでしょうか。

裁判官さんも、学生時代は「模擬法廷」などを体験されたことでしょう。
他の裁判も傍聴したことがあるでしょう。
それと同じで、演奏をするためには実際に演奏している姿や音色を見て学ぶ必要がどうしてもあるんです。

裁判官さん、音楽教室ってお金を出せば誰でも受講できると勘違いされていませんか?
演奏技術を習得しようと思っていない方は、たとえその演奏を聴きたくても受講できないんですよ!

音楽教室に通う生徒さんは「公衆」なのか

上記でまとめたように、音楽教室に通う生徒さんは「先生の楽曲を聴く」ことを目的にして音楽教室には通いません。
仮に「先生の楽曲を聴く」ことを目的にする際には、たとえ生徒さんであってもレッスンとは別にその先生のコンサートに出向きます。
そして毎回、先生の演奏に圧倒され「自分もいつかああやって…」「いや、とても無理だわ(でもがんばろう)」と様々な想いを胸に、また自分の楽器と向き合うんです。

ところで、文化庁の運営サイト「著作権なるほど質問箱」には、「公衆」について次の注釈があります。

(前略)…1つしかない複製物を「譲渡」「貸与」するような場合、「特定の1人」に対して、「あなたに見て(聞いて)欲しいのです」と言って渡す場合は「公衆」向けとはなりませんが、「誰か欲しい人はいませんか?」と言って希望した人に渡した場合は、「不特定の人」=「公衆」向けということになります。
(文化庁 「著作権なるほど質問箱」〜「公衆」とは?

レッスンでの講師演奏は、生徒さんの技術向上のためにその生徒さんに合わせて必要な部分だけを必要な形で提供します。
そのために不要な情報は排除し、ときには音を抜いたり(マイナスワン音源)、技術の拙い生徒さんが演奏できるといった意味で平易に変更したりして、まさに「生徒さんに見て(聞いて)欲しいのです」

誰でも参加できる「公衆」に向けて演奏されるとみなすには、かなりの無理がありませんか?
「客層」が違うから演奏の内容を変更するレベルではありません。

逆にコンサートにおいては、その演奏を聴いてもらうために、同じ楽曲であればどの聴衆にも同じものが伝わるように準備します。
そしてそのコンサートを有料で販売し「誰か欲しい人はいませんか?」と告知するのです。
これらで使用される楽曲に使用料が必要であれば、支払わなければならないのは言うまでもありません。

JASRACは未来の収入源を自ら失ってしまう

先ほどレッスンでの講師演奏は、生徒さんに合わせて必要な部分だけを必要な形で演奏すると書きました。
でも…これって今回の判決をそのまま受け止めると「著作物の改変」とみなされませんか?

私たちがやっていることって、今回の判決どおりの考え方でいくと「JASRACの管理楽曲を著作権者に無断で改変し、公衆(生徒さん)に有償で聴かせて収入を得る」ってことですからね。

しかしその目的は、何度も言いますが生徒さんの技術習得のためです。
それを世間(公衆)に発表して収入を得ようだなんて思っていませんよ。
「主たる目的」が何なのかを考えるとすぐに分かりますよね。

この考え方がまかり通ってしまうと、間違いなく音楽教育は崩壊してしまいます。
崩壊するとどうなるか…JASRACの収入源である「楽曲演奏をする人」や「楽曲を作る人」がいなくなってしまうんです。

小学校〜高校の授業で教えられる環境が作られればいい(そうすれば「教育」とみなされて「制限」が外されます)ですが、そうもいかないでしょう。
「学校の授業のなかで競技レベルでスポーツを教えてくれ」って言っているのと同列になってしまいますからね。
専門学校ならともかく、こどもたちの教育の場を失ってしまいかねない今回の事態、私たちはもっと真剣にその解決策を検討しなければならないのではないでしょうか。

次回は「楽曲の管理」について。
JASRACさんは「音楽教室のレッスンは楽曲管理を音楽教室が担う」と主張されています。
しかし、そもそもそれをやろうと思ってもやりようがないんです。


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